86年4月26日のチェルノビル原発事故が起きたとき、娘は乳飲み子で生後2ヶ月ほどだった。
授乳中のことで、スイスでは国産の物を食べましょう運動も上がり、確かフィンランド(風向きが大いに関係していた)では「産みません」運動してたんじゃなかったでしょうか・・・?
あの頃、近辺で被爆した子ども達の寿命は10年・・・とか言われてたんだった。
ぁ、ありがたいことに、うちの子たちはスクスク育ちました。
でも、口にする物に対してはとてもコンシャスになった。
どこ産の何を食べてるのかな?って。
トランス脂肪酸がどうのってこともありましたわね〜
これなんざ、可愛いもんです。
86年当時は、義理の両親が、私にと粉ミルクを譲ってくれたっけ。
自分達だってコーヒーにミルクは必要に違いなかったのに。
せめてもと、事故前製造の保存食品やミネラルウォータを買ったっけねぇ。
でもね、そんなこと、ずっと続けられるものでもないのよ。
風化させては行けないとは言え、徐々に普段の生活の戻って行った。
チェルノビルからスイスの距離って、およそ3000キロくらいらしい。
自分で確認したわけじゃないので、正確じゃないかもだけど。
チェルノビルから日本までは、8500キロくらいじゃなかったかな?
世界地図(wiki出典)で確認してみてねん。
ルツェルンは大丈夫・・・なんて話も聞いたけど、新聞にも記載されてたかな?
保険会社、某SUVA勤務の友人曰く、ルツェルンもガイガーカウンタが振り切れてるからって。
風向きって変わるわけで。
友人の父親所有の馬が死産したり、鴨の卵が孵化しなかったり・・・
かと思えば、うちの庭で作ったサラダ菜だから大丈夫よ!と仰りくださったマダム・・・
ありがたかったけれど・・・"o(-_-;*) ウゥム…
なんだか、
掛け算のできないお偉い方がいらして、こうなると発表を鵜呑みにせずに自ら計算すべし。
自分の身は自分で守るのみですわね。
11日、宮城県出身の友だちに電話したら、旅先から戻るのは同夜だと息子Mちゃんが言った。
その後、再度、電話するのが怖かった。
やっと話をしたら、不幸中の幸いにも彼女の実家は高台にあり被災は免れたとの事。
でも、停電するし、風呂には入れなかったものの1週間ほどで温泉に入ることが出来たそうだ。
でも、不満なんて言ってられないと。
自分がかつて住んだこともあった土地が被災され、心を痛めていると。
被災地のみなさま、お見舞い申し上げます。
亡くなられた方にお悔やみ申し上げるとともに、負傷された方々の心の傷のより早い回復を祈るとともによりいっそう早い復旧を心より願っています。
そして、救援隊のみなさまが全力を尽くされてます。
その方々の健康管理も大切だと思います。
こっちは、こんなに良い天気が続いていると言うのに、被災地はさぞかし寒いことでしょう。
心もとないことでしょう。
なんとか助けになれるよう、ルツェルンの在外邦人も26日、献金のお願いに当たります。
なんでも、警察に申請にあたり色々とたいへんだそうです。
詐欺があってはならないってことなんですよね。
某団体の40%の詐取?って、どう言うことなんでしょうねッ
名ばかり偽善者ですわよ( ̄‥ ̄)=3
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