8月3日午後4時40分に、アトムは永眠しました。
1994年5月8日生まれだったので、15歳3ヶ月足らずの猫生でした。
(この画像は今、モニタの壁紙として使っています。
なかなかカメラ目線はしてくれないので、珍しい画像です)
8月3日午後1時10分に緊急入院をしてからの精密検査中には、急に行けなくなりました。
アトムは食欲が落ちている以外は、その日まで元気だったけれど、様子見に獣医さんへ連れて行こうかしら?とオトツに相談していたところでした・・・
(ランチ前の画像で、お膳の下で寝るのは珍しいこと)
それがランチ前。
ランチをしていた間に、アトムはキッチンから繋がっているバルコニへ出て来て、霧雨が降る中、廊下の窓よりではなくて、大きな鉢が置かれている方へ来て横たわって・・・
(上は、今年の4月5日撮影)
雨が掛かるよ、とバスタオルを鉢から掛けてテントのようにして上げました。
私たちが食事を終えるとアトムは、日中使っている娘の部屋へ移動。
様子を見ていたら、見る見る間に腰砕けになり、ついにいざってしまった。
後ろ足が麻痺したように、動かない。
これは、行けない!
直ぐに、獣医さんに電話。
滂沱の涙でしたわ。
先生たちは、出払っているけれど、先ずは連れて来てと言われて連れて行った時の画像がコレ。
移動中、鳴きもしなかった。
この日も、いつものように家の者が起きると盛んに餌を欲しがり、いつものように芸をして貰ってから、
(餌を上げる時に、お手をして頭をグイと上げて来るので額にキスをして上げるのです)
餌をやるのが常なんだけれど、ここ3週間ほどは大好きな方の餌を上げても、完食せずに残すようにはなっていたのでした・・・
(通常は、獣医さんのところから買って来るドライフード。
これは、2年前の2月に尿詰まりを起こしてから与えるようになったのです)
緊急入院させてから、ドクターが昼休みから戻るまで検査結果が出るのは、少々、時間が掛かると聞いた。
16時くらいに、フラウドクタープロスから電話があり、大腸に腫瘍がある。
それは、良性か悪性かは、開けてみないことには分からないそう。
でも、相当、痛いと・・・
チョイスは、手術するか永眠させるか・・・
但し、手術に耐えられるかどうか?
決心できたら、電話をください・・・
私は、5分と待たずに電話しました。
直ぐに、眠らせることを決心したのでした。
そんなに大きな腫瘍が出来るまで、わからなかっただなんて。
年だし、夏バテかなとは思っていた。
食欲は無いけど、水は良く飲んでたし。
排便だって、毎日あったし、多少は緩いのがこの1週間では2回ほどしかなかったし。
会いに行ったら、ケージの中でフニャ〜と一声。
様子を見ると、グッタリした様子。
検査のために、鎮痛剤を打ってからは、呼吸するのも苦しげなのだと聞いた。
夫と一緒に行くと、ドクタがレントゲン写真を見る?と、診察台の隣のドアを開けて見せてくれた。
それは、本当に大きな腫瘍だった。
その圧迫で、腰椎にヒビが入ったのか、それで歩けなくなってしまったんだろう。
大腸に、みかん大の腫瘍があり、この部位に出来る腫瘍の多くは悪性と聞きました。
アトムがフニャアと鳴いた。
ドクタがスッと診療台の方へ移動して、『いるわよ〜』と声を掛けた。
私たちの姿が見えなくなったから鳴いたんだなんて、動転していた私には直ぐには分からなかった・・・
本当に不憫で、気づいて上げられなかったことが悲しくて、つらかった。
前夜は、ずっと私のそばに居て、ここ4、5年はいつものことなんだけれど、いい加減、私のそばに居るとその後は、娘の部屋(現在、娘はチューリヒ在)へ移動して寝るのだった。
私がDVDを観ているそばに居る間中、お腹や背中や体を撫でて上げてたんだけど、痛がる様子は全く無くて、喉をゴロゴロと鳴らしていたの。
そんな、いつものような夜だった。
ドクタが痩せてたのを知ってましたか?と聞いた。
知ってましたよ、食欲が無いんだから。
5キロを切っていたらしい。
これには、驚いた。
2006年6月に7.7キロあったので、減量してから、徐々に6.7キロまで減量して上げたんだけど。
亡くなる前夜は、背骨がゴツゴツしてるな、肋骨も触れるなって思っていたの。
でも、コレは前の獣医さんが推奨していた動物の姿なんだからと納得していた。
夏バテも悪くないかも・・・なんて思っていた。
曰く、野生の動物はみなそうで、触った時に肋骨や背骨が直ぐ分かるのが正常なのだって。
太らせては行けませんってことだったのよ。
前の獣医さんが亡くなって、今のクリニックへ変わってからアトムは、とても大きな猫(75cmくらい)だし、太りすぎではないなんて言って貰っていたのね。
でも、5キロを切るほど痩せていたとは思っても見なかった。
ショックでした。
眠らせた時には、ジッと見つめて上げて体をずっと撫でて上げた。
体調が悪かった事に気づかずにごめんねと何度も謝り、
次に生まれて来る時には、外へ出られるような家に飼われると良いねと願って上げました。
呼吸をするのも絶え絶えの様子だったので、先ずは点滴管に麻酔を打ってから・・・の間に呼吸は止まってしまい、後は心肺が停止する薬を直ぐに打って、永眠。
弱っていたせいで、全てが5秒ほどの間で済んでしまいました。
昼からの急変で、余り苦しまずに亡くなったと思います。
腫瘍に触ってみる?とドクタが聞くので(毛皮の上からグリグリと腫瘍を探し出して)触ったら、確かに大きかった。
日本のみかんは大きいから、小さめのみかん大の腫瘍がアトムにとって、どんなに大きな物だったか分かりました。
その後は、早速、弔いの話です。
亡骸は、そのまま始末する方法、灰にして取っておく方法、動物霊園へ葬る方法の3種類があって、私は灰にして持ち帰ることにしました。
15分ほど、そばに居て色々と話しかけ、帰宅しました。
3日ほど、夢に出て来ました。
1日目は、亡くなった時に瞳孔が開いて全部黒目になったのをジッと見ていたせいか、黒目勝ちのぬいぐるみみたいな姿だった。
しかも、その日、私が着ていたアイスブルーのTシャツと白いパンツを履いたぬいぐるみ。
人形みたいだから、見つめるだけで動きはなかったんだけど、2日目には、いつもの黒猫になっていて、いざって動けない様子で、3日目には立ち上がって出て行きました。
以来、夢には出て来ません。
猫にも、初七日とか四十九日とかあるんでしょうか?
お線香を上げたりするものなんでしょうか?
アトムが最後に包まっていたバスタオルとケージは取っておくことにして、猫の木やトイレや餌入れは、直ぐに始末してしまいました。
後は、6日に幼馴染みが東京から来るまで、思い出してはメソメソと泣いて暮らしました。
今も、書きながら泣いています。

左の器にアトムの灰が入っています。
右のぬいぐるみは、幼馴染みの娘さんが自分の代わりに連れて行ってと、幼馴染みが持って来ていたマイケル。
赤いリボンのKは、マイケルが着けていた娘さんのイニシャル。
マイケルは、イニシャル無しで今は娘さんのところに戻っています。
う〜ん、アトムのK?
KatzeのKね。
幼馴染みがいた間は、出来るだけ色々と見せて上げたかったので多忙な毎日で思い出す暇もなく、でも、20日に見送ってから、また、思い出しては涙が出ます。
アパート猫は、20歳くらいまで平気で長生きするからと聞いていたので、こんなに早く逝ってしまうとは思っていなかった。
20歳になったら、猫又になって人間の言葉を話せるようになると思ってたのに。
次に猫を飼う時には、もっと人懐こい雌猫でウランって名前にするんだなんて、アトムが居た頃は言葉にしたこともあったけど、猫jは・・・多分、もう飼わないだろうと思う。